蟹江町などの殺人事件から
6日、蟹江町で起こった不可解な殺人事件を筆頭に
1日 閑静な住宅街、鎌倉市津の歯科医院の息子による殺人事件
6日 静岡市葵区新富町3丁目の飲食店「スナック小松」の経営者殺人事件
6日 愛知県碧南市相生町3丁目の元同居人による殺人事件
GW中に4件の殺人事件があった。
蟹江町の事件は今でもTVで扱われている状況である。
このような事件の当事者(被害者+加害者)には、なりたくはないものである。
恨む人、恨まれる人、秋葉原通り魔事件のように、たまたまその場所に居た被害者、環境(世界・現場)が見えなくなってしまった加害者などの状態にはなりたくはないものである。
しかし、人は運命・宿命という概念を使うと思う。どうにもならないと。結果論的にはそうだろうと思うが
信長・光秀事例の恨む・恨まれる関係
通り魔事例の被害者・加害者関係
で、どうして俺が、私が? どうしてそういう人間なのか? という感情もあると思う。
当ランキングのBlogではスピ者が多いので、その関係を神仏・あの世この世の話題で因果を論ずることになるだろう。そうなのかも知れぬ、しかし、それだけでは発展がない。実存(現実存在)・営存(このように営み存在している)の哲学(サルトル他)と情報概念(北川敏男)があり、現場での情報行動を意識することも大切なことなのである。
情報行動では、黄金律(相手が欲してることをしてやる)を、現場の気配(情報)を知る心(Bb)の鍛錬、そして用心が現代では必要である。これでは侍ですね(笑う)
私は、武蔵の「神仏は尊し、神仏に頼らず」の現代日本人が忘れた、その微妙な弁が好きである。人の主体で意識するもの、心という言葉では手垢がつきすぎているので、システムとして生の実体を感じたい。今風には「脳」を問題にするのだろうが、脳は体の一部なのである。
脳を使い、それを訓練している「なにものかを」見失ってはいけないと思う。
それを学術的にはBb(ブラックボックス)として全員持っているものとして位置づけられる。現場的には、(生-死)on現場=「我」 環境からの情報を意識している個(見えない+形がない+重さがない)のシステムの存在を自覚したい。
事件の当事者にならないために、なったとしても軽く避けるために、「我」を自覚して明敏にする鍛錬をしたい。
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