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2009年6月13日 (土)

一般野外科学への再度の質問 2

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続き 2
tanpopo 「対象者は、現場から真理を発見しようとする人たちです
道具は、自身の意識です。スピ者が思う意識でなく、デカルト・パスカル・ヘーゲルなどの歴史的に発展してきたものですが、概念だけでなく、現場的な理性(機能)と精神(状態)の→■→(Bb|ブラックボックス)です
技術は、発想論理整理術です
思想は、人間情報原理(後述)です」

tn 「後述が多いですね」

tanpopo 「申し訳ないです 人類の人間理解は、意識・理性・精神と観念論で発展しましたが現場的では無いんです。歴史的には唯物論としての階級闘争で共産主義が分岐していきました。今は消滅しました」

tn 「中国・北朝鮮は?」

tanpopo 「あれは純粋ではないですよ、独裁・官僚国家の道具にすぎないでしょう
人間理解は、現実存在の実存でフランスで止まっています、と、私は思っています」

tn 「一般野外科学は、それと関係してくるのですか?」

tanpopo 「はいはい! それは、知的儀式として発想探検、知的武装としての道具+技術+思想、実証としての行動規範(真利善美)で、生き方としてのライフスタイルになるんです」

tn 「・・・・・・」

tanpopo 「西洋は、聖書+哲学+科学の主観と客観の文明です
東洋は、仏典+四書五経の主観の文明です」
一般野外科学は、主観と客観が統一された日常の創造性(生活・仕事の学問)で生の実務的哲学の側面があります、
そのライフスタイルは、西洋でもなく東洋でもない、日本文化になります
そこに、意味と価値があると思っています」

tn 「聞いたこと無いような話ですね ?」

tanpopo 「そのような話は日本人の弱点でしてね、他国の珍しい新規な話には元気になるんですよ

つ づ く  3

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2009年6月10日 (水)

賢者の朝食 ?

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   最近、週一度の昼食は、外で七輪の火をおこし、魚などを焼いて食べている。いわゆるアウトドアであろう。
貝なども焼いているのだが、あさり・白貝ときて、あおやぎ(バカ貝)を焼いたのだが、大失敗だった。臭いがきつく、味も臭いと同じ味なのでまいってしまった。私の選択が大失敗だった。

 このあいだ、背黒めざしを焼いて食べてみたが、気に入ってしまった。
めざしは、小学入学以前のトラウマで食べたことがなかった。
数匹の魚の目を藁で突き刺し束ねて皿の上に乗せて出された。たしか、父親に栄養があるから食べろと言われた記憶がある。黒く焼かれた魚を口に入れると苦かった。「なんだこれ!」と思ったものだった。
しかし、何故か、今はおいしかった。

 当時20代の私たちにとってのめざしは、質素(貧しさ)な生活の象徴であった。
その頃、経団連名誉会長、第二次臨時行政調査会長,85歳の土光敏夫氏の朝食はめざしだった。そのような報道がされた。
しかし、あとから知れた情報によると"やらせ"だったらしい。だが、バス通勤の社長として、質素な生活は事実であったらしいのだ。

 今の時代、リーダーで質素な生活をしている人がいるのだろうか?
フォード・クライスラー・金融関係のの幹部達、日銀前総裁など、人の位と言うことを知るべきだろう。
私は、みそ汁と、8匹、百数十円のめざし四本の朝食を、ありがたくとれることが、賢者になったように感じるのだ。

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2009年6月 7日 (日)

足利事件の冤罪から

Photo H215mb 6月4日午後 足利事件の受刑者だった菅家利和氏は、最新のDNA鑑定で体液が不一致だったと、千葉刑務所から釈放された。
冤罪だったわけである。いつも事件では、弁護士は悪役に見える者だが、正義のヒーローに見えた。

 殺害された4歳の女児が遊んでいたパチンコ店に、菅家氏が通っていた、通学バスの運転手だったという。それで犯人と見当を付けられ捕らわれたのか?
アリバイは無かったのであろうか? 非公開情報なのか報道では不明である。
そして、無理な強要で自白してしまったというのである。

 菅家氏の父母は無念であったろう。被害者の父母は憎んでいたであろう。保育園の経営者は責任を感じていたであろう。
真犯人はどこかで笑っているのだろうか? すでに死んでいるのだろうか?
警察・検察・裁判官は、悔やんでいるのだろうか? その名前を知りたい。それでは、彼の国と同じになってしまうか!?
しかし、責任者のお詫び記者会見はあってもいいだろう。
最高裁の裁判官の名前は知りたい。市民には投票権があるのだから。

 女児は殺害され存在しない。加害者は不明で時効。父母から裁判官まで振り回された社会事件を関係者の運命的事件というのだろうか?
そして、菅家氏も強要され嘘の自白をしてしまった。
彼も、何故、その保育園の運転手だったのか? そのパチンコ店に通っていたのか? 当時の技術レベルだかDNAが一致してしまった。不運であったろう。

 人は、そのような状況でどう闘えばいいのだろう。
それを運命といい、宿命といい、哲学は無力か? その定めと闘えるのか? 突然、舞起こった事に対処できるのか?
魔法魔術だったら、スピだったら逃げられるのだろうか?
私は、叫ぼう。
「人生を絶たれるのであれば、真理を貫き、自己を信じ、高位な精神になろう。警察・検察・裁判官に人として後悔させて見せる」

  それが、世界・人間を知る哲学の仕事だと思う。

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